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人類と革靴の歩み②
ノーサンプトン ― 靴と共に ロンドンから電車で約1時間程の距離にあるノーサンプトンという街。 靴の聖地と言われ、John Lobb、Edward Green、Crockett & JonesそしてTricker’sなど英国の名だたるシューメーカーが工場を置いている。 現在は数こそ減ってしまったが、その昔は靴工場や工房、職人達の住居が街の至る所にあり、今でもその名残を見ることが出来る。 それほど大規模に靴作りが行われてきたたため、靴の聖地と呼ばれるようになったのである。 ではノーサンプトンはいつ頃から靴作りの街として知られるようになったのだろうか。通説では清教徒革命で知られるオリバー・クロムウェルが1649年のアイルランド出兵に際して2500足の靴をノーサンプトンの靴職人達に注文したことが、ノーサンプトンの靴産業の始まりだということだ。 だがなぜ、わざわざノーサンプトンなのか。 ロンドンや他の都市にも靴職人はいたはずだが、クロムウェルが靴を大量に発注するにあたって、すでにノーサンプトンは高品質な製品の生産体制が整えられていたのではないだろうか。 靴作りの街として定評のあったノーサンプトンがクロムウェルの大型注文で一躍有名になったと考えるのが自然に思える。 19世紀に入ると靴の需要の拡大、運河の整備による輸送ルートの拡大によって産業的に花開くことになる。 そしてグッドイヤーウェルテッド製法の発明と導入によって高品質な靴を大量生産出来るようになり、ノーサンプトンはその地位を確固なものとしたのだ。
人類と革靴の歩み②
ノーサンプトン ― 靴と共に ロンドンから電車で約1時間程の距離にあるノーサンプトンという街。 靴の聖地と言われ、John Lobb、Edward Green、Crockett & JonesそしてTricker’sなど英国の名だたるシューメーカーが工場を置いている。 現在は数こそ減ってしまったが、その昔は靴工場や工房、職人達の住居が街の至る所にあり、今でもその名残を見ることが出来る。 それほど大規模に靴作りが行われてきたたため、靴の聖地と呼ばれるようになったのである。 ではノーサンプトンはいつ頃から靴作りの街として知られるようになったのだろうか。通説では清教徒革命で知られるオリバー・クロムウェルが1649年のアイルランド出兵に際して2500足の靴をノーサンプトンの靴職人達に注文したことが、ノーサンプトンの靴産業の始まりだということだ。 だがなぜ、わざわざノーサンプトンなのか。 ロンドンや他の都市にも靴職人はいたはずだが、クロムウェルが靴を大量に発注するにあたって、すでにノーサンプトンは高品質な製品の生産体制が整えられていたのではないだろうか。 靴作りの街として定評のあったノーサンプトンがクロムウェルの大型注文で一躍有名になったと考えるのが自然に思える。 19世紀に入ると靴の需要の拡大、運河の整備による輸送ルートの拡大によって産業的に花開くことになる。 そしてグッドイヤーウェルテッド製法の発明と導入によって高品質な靴を大量生産出来るようになり、ノーサンプトンはその地位を確固なものとしたのだ。
人類と革靴の歩み ①
現在知られる最古の革靴はアルメニアの洞窟で2010年に発見された約5500年前のものだ。植物のタンニンで鞣された1枚革の牛革(所謂ベジタブルタンニンレザー)にライニングとして草を詰め、シューレースで足に固定出来るようになっている。ピラミッド建設より以前に革の鞣しの技術や現代の靴と共通する意匠が存在したことには驚きを隠せない。 時は進み、ローマ帝国時代に入るとコルクや鋲のついたレザーソール付きサンダルが登場する。身分や階級に応じて権力や経済力を表すような様々なスタイルが作られるようになった。そのため靴職人は注目を集め、とても人気の高い職業だったとされている。 中世に入ると「ターンシュー製法」(アッパーとソールを裏返しに縫い合わせてひっくり返す製法)が生まれ、水や土の侵入を防げるようになる。ターンシューは後述する「ウェルト」の登場する16世紀頃までヨーロッパ人の足元を支えた。 「ウェルト」とは靴のアッパー(甲革)とアウトソール(本底)とを縫い付ける細い革のことだ。「ウェルト」の登場は靴の歴史の転機と言っても過言ではないだろう。防水性や耐久性は格段によくなり、靴作りもより緻密に繊細になっていった。18世紀以降、それまでは左右対称に作られていた靴は、左右の足それぞれに形に合わせて作られるようになりここに現代の革靴の源流が出来あがった。 19世紀後半にはミシンが発明され、さらにアメリカではあの「グッドイヤーウェルテッド製法」が確立された。革靴は、大量生産が可能となったのだ。 そして「グッドイヤーウェルテッド製法」の普及で一躍世界的に有名になったのが英国はノーサンプトンの街である。それ以前から靴作りの街として英国内では知られていたのだが、新製法と知見、人材を駆使して靴の聖地とまで呼ばれるようになった。次回はそんなノーサンプトンの靴作りを深掘りしてみたい。
人類と革靴の歩み ①
現在知られる最古の革靴はアルメニアの洞窟で2010年に発見された約5500年前のものだ。植物のタンニンで鞣された1枚革の牛革(所謂ベジタブルタンニンレザー)にライニングとして草を詰め、シューレースで足に固定出来るようになっている。ピラミッド建設より以前に革の鞣しの技術や現代の靴と共通する意匠が存在したことには驚きを隠せない。 時は進み、ローマ帝国時代に入るとコルクや鋲のついたレザーソール付きサンダルが登場する。身分や階級に応じて権力や経済力を表すような様々なスタイルが作られるようになった。そのため靴職人は注目を集め、とても人気の高い職業だったとされている。 中世に入ると「ターンシュー製法」(アッパーとソールを裏返しに縫い合わせてひっくり返す製法)が生まれ、水や土の侵入を防げるようになる。ターンシューは後述する「ウェルト」の登場する16世紀頃までヨーロッパ人の足元を支えた。 「ウェルト」とは靴のアッパー(甲革)とアウトソール(本底)とを縫い付ける細い革のことだ。「ウェルト」の登場は靴の歴史の転機と言っても過言ではないだろう。防水性や耐久性は格段によくなり、靴作りもより緻密に繊細になっていった。18世紀以降、それまでは左右対称に作られていた靴は、左右の足それぞれに形に合わせて作られるようになりここに現代の革靴の源流が出来あがった。 19世紀後半にはミシンが発明され、さらにアメリカではあの「グッドイヤーウェルテッド製法」が確立された。革靴は、大量生産が可能となったのだ。 そして「グッドイヤーウェルテッド製法」の普及で一躍世界的に有名になったのが英国はノーサンプトンの街である。それ以前から靴作りの街として英国内では知られていたのだが、新製法と知見、人材を駆使して靴の聖地とまで呼ばれるようになった。次回はそんなノーサンプトンの靴作りを深掘りしてみたい。
日本最高峰の既製靴ブランドでのイベント
この記事では『三陽山長 粋』にて靴磨きイベントをさせていただいた内容について書いてあります。
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